scene #2

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      一ヶ月、意外にも世間がうわさをしていた訓練校の厳しさを私は感じられなかった。
      私はどこか物足りなさを感じていた。

      いや、決して一部の人間が趣向としている攻撃的にされると胸が高鳴るといった
      そういう衝動ではなく。ただ、なんというか、充実感というものが感じられなかった。

      試験に向けてスクールに通い続けたあの辛い日々の方が
      よっぽど充足感があったと思う日が、
      まさか来るなんてと、思いを巡らせながら、腕立てを続けていた。

      主に合同基礎訓練は、他クラスとも繋がりはあるが、
      その他専門訓練はおのがそれぞれ目指すべき役職のクラスに分かれて学ぶ。
      結局、今日もその日も過ぎ行くまま、私は満たされぬ欲求と戦っていた。

      そんな私はどうやら、想いが態度に出てしまったらしく、
      ルームメイトの彼女が軽く頭を小突いた。まだなかなか打ち解けないルームメイトについて、
      食堂で悩んでいる話をする同級生を思い出す。

      不満そうねと付け加えながら、私に自分が飲もうとしていたお茶を差し出した。
      これは彼女なりの気遣いなのだろうか、私は差し出された慣れない優しさに首を振ると、
      少し寂しそうにカップを自分に引き寄せた。

      「立ち向かう相手を勘違いしてるでしょ」

      なにか言い知れぬ感情を射抜かれた瞬間といえば、正しいだろう。
      思わず伏せていた目を上げると、ひらりと髪をなびかせて窓枠近くに腰掛ける。
      その姿から、何か真っ直ぐな感情が伝わってくる。
      大人びて、何か思想の高いものを抱いているような。
      私にはそんなふうに見えないものが見えた気がした。

      もし、ルームメイトにならず、出会っていたならば、
      彼女を憧れの眼差しでみていたかもしれない。
      ふわふわの女の子らしい髪の毛、笑うと少しだけ白い歯を見せて笑う。
      たまに失敗すると鼻歌を歌いだす明るい子だ。
      実に女の子らしい、彼女のことを今では
      私は運命という流れを恨みながら共に宿舎を共にしている。

      「狭い部屋なんだから、けんかしたくない。文句はなしよ」
      「文句じゃないわ。まだ試験の続きをしているの?」
      「どういうこと」

      私は言葉を続けようとしたけれど、頭に彼女の言葉がフラッシュバックする。
      試験の続き、合格のために乗り越えた苦痛、
      甘い痛みと一緒に来るのは見えない憧れの訓練校。
      彼女の言いたかったことがなにもかもわかってしまったとき、思わず私は彼女を睨んだ。

      彼女はわざとそ知らぬ顔をして、何か長い布を広げてはまた巻いて畳んでみせる。
      あれは包帯の巻き方訓練だろうか。
      いくらテクノロジーが発達したとしても、衛生兵の訓練というものは
      案外アナログなのだなと私は頭の中で、話題を摩り替えることにした。

      「きれいに巻くのね」
      「初めて褒められた。みんな素早く巻くの」
      「あなたは一体、何に立ち向かっているの?」

      急に彼女が暗い影を落とした瞳に変わる。自分から話題を変えたつもりだったけれど、
      どうやら私のなかにいる真実はこの話の続きをしたいのか。

      それでも、私は、
      しばらく自分が次に戦うべき相手を探さなければいけない
      事実から目を背けたくて。
      彼女の問いに、自分の投げかけた問いに、ふたつとも曖昧に答えた。

      「別にいいわよね。知っても知らなくても、一緒に戦っていくことには変わりないから」

      そう、深い意味はなく。ただ曖昧に・・・。



      どうやら3人〜5人編成の部隊を組むようだ。
      この前にアンケートで出した、第一希望の役職の兵を入れてくれていると
      いうことで、クラスメイトはこぞって安堵した。

      ちなみに私の第一希望は衛生兵・第二希望が装備兵・第三希望は射撃兵だ。
      これは後で知ることになるのだが、やはり射撃兵は在籍する学生が少ないのに、
      ぜひ部隊に入れたいと思うクラスメイトは多かったようだ。
      これは仕官クラスの考えることはみな、似たり寄ったりという結果らしい。

      「あの、第Z候補訓練部隊はこちらでよろしいのでしょうか」
      「あなたは?」
      「わたくしはカレッタ・ビクトールと申します」

      今にも天井に埋め込まれている空調の風音に掻き消されそうな声で話しかけた。
      装備班のような力仕事をするような腕には見えない。
      肩幅も華奢で綺麗過ぎる顔立ちが印象に残った。
      この子が衛生兵なのだろうか。それにしても奇跡だ。
      こんなか弱い少女が、よくあの試験を突破できたと言えよう。
      か弱いその子は、わたしの名を尋ねるなり、途端に驚きの声を上げた。

      「その将バッチ!ごめんなさい、部隊長さん!」

      大声を上げたとしても、この程度。
      確かに私達はジャングルで駆け回るような陸上部隊兵志願ではないものの、
      戦う意識を感じられない声をよく、教官はほおっておいたものだ。
      などと、初めて会った感想を頭の中で整理しながら、私は質問をすることにした。

      「これからよろしく」

      そう、手を差し出して。
      泣き出しそうな子は、ぱっと日が差したように微笑んで、私の手を握り、うれしいですと。
      それはなんとも言えない笑顔でまだ涙声残るしゃべり方で私のこころへ問いかけた。
      この子は生き残れるんだろうか。あの遠い暗く綺麗な星空で・・・

      「面白い部隊ね。でも、戦い抜けないことはないわ」

      私の絶望に気がついて、慰めたのは聞きなれた声だった。
      彼女は手に持っていた紙をひらりと私に何度か見せて、近くにある椅子に腰掛けた。
      たしか、彼女は衛生兵だったはず。私の部隊に入るのだとしたらこの子の役職は・・・・

      「よろしくね、ルームメイトの部隊長さん」

      人の了見に気遣いを知らない衛生兵、宇宙の風に吹き飛ばされそうな整備兵に。
      私はなんと一言声かけたらいいか、迷いながら言葉を発しようとしてしまったのがいけないのか。
      思わず本音をため息まじりにつぶやいた。

      「本当、面白すぎるくらいにね」



      走り去れ、迷いを捨てて、想いなど置いていきそうになりながら。
      部隊編成後、途端に厳しさを増した訓練授業。いや、これは厳しさと言うより死闘であろう。
      私達は教官の素早い前進にただ、背中を追いかけるばかりだった。

      以前の民間の陸上部隊施設で行われている
      スカイクルー訓練生プログラム合格講座に参加したときのような、
      罵声の中を耐え抜き、過酷な基礎訓練を鍛えるような代物ではなかった。

      だた、圧倒的な先行く同じ訓練場で訓練メニューを着実にこなす現役スカイクルー。
      私達はきっとあんなふうにはなれないのだと思わせる圧倒的判断力。
      クラスメイト達の間では既に退学証に記入して、
      机に忍ばせている生徒がほとんどだなんてうわさが広まる。

      今日も黙々と訓練が増してくる中、相変わらず出遅れる我が部隊班。
      いつものように、あの子は詫びる言葉を残し、上目遣いで涙を浮かべながら再び走り出す。
      既に私の中には怒りはなかった。
      この子とあの場所まで走りきること、それしかなかったのだ。

      そう、それしか必要ないと思わされていたのかもしれないと、
      後になって気づいたのはこんな言葉がたった今思い浮かんだせいに違いない。

      「ねえ、カレッタ」
      「はい、ごめんなさい」
      「あなたは何と戦っているの?」

      あの子は息を飲む様に、急ぎ足の中、問いに対する返答を必死で考えた。
      考えているせいか、脚は次第に遅くなり、
      スカイクルーの講師達の距離は離れるばかりだ、
      今はこちらの方が重要だとおかしな確信が私の胸でうずく。
      答えてと、彼女に答えを急かす私を彼女が見たら怒るかしら、答えの出てない私に。

      「自分の『ごめん』と戦いたいの」

      あっと、彼女は敬語を使わなかったことをごめんなさいと詫びた。
      私はそのままでと、続けて話すように指示した。
      意味がわかるようで、わからない
      あの子の答えに私は興味をかきてられて、さらに答えを追求した。

      「すぐに謝ってしまうの。
       それも無責任なことはわかってる、だから胸をいっぱい張って、ごめんなさいが言いたいの」

      真剣で熱い眼差し、それはこの激しい訓練には到底似合わなくて。
      しかし、その想いがどんなに素直で強いことをこの胸打つ静かな鼓動が伝えてきた。

      そのとき、私は確信した。
      ああ、この子は今ここにいる誰よりも素直なのだと。
      うな垂れる私達をよそに、他の部隊が急ぎ足で駆けて行く。訓練場を見渡すと、
      なぜだかそこが霞がかって、とても陳腐な場所に見えてきた。

      この場所で、
      上官達の言葉上辺だけを行動してきた自分自身に、
      少しだけ自嘲すると、思わずふふっと小さな笑いが浮かんでしまう。
      そうか、そういうことだったのか。
      私はあの時に投げ出された彼女の謎かけに、逃げ続けていた答えにようやく辿り着いた。
      ふと受験生だったあの頃、私の心を残した言葉が思い浮かんだ。

      『人間らしい暖かな感情を持ちながら、戦い抜けると思うな』

      そこで抱いた純粋な疑問。
      人間らしい人ほど、粘り強く人望が厚い戦士など育たないのではという無垢な言葉を。
      私はその疑問にできるだけ自分に答えを出さないでおきながら、
      あの憧れの星空を駆ける日を夢見ていた事実に気づいた。

      気づいてしまった私は、とたんに不安になる。
      この厳しい訓練メニューになってから、
      人間らしいスカイクルーのままで戦うなどと、
      そんな曖昧な感情を持ち続けながら、並大抵の精神力と技術と伴って
      また乗り越えたいという情熱を抱くことは可能なのだろうか。

      自分のことばかり考えている私があの子をみつめていると、
      あの子は唇の端を自分で少し噛んで
      ふら付きながら重い装備を抱えて一人で起き上がろうとした。

      なぜ、こんな状態になってまであの子が私に助けを求めなかったというと、
      普段私は上官達に言われている通り一人で立ち上がらなければと促しているせいだ。

      健気なその姿に映る私は、どんなに愚かだろうか。
      臨機応変に命令を変更できない矛盾、目の前にある確かな力強さに立ち向かうことが
      どんなに孤独で暗い道のりだということは優に想像見えた。

      けれど、またいつもの日常に戻ったときの虚無を今こうして思い出したとき、私は観念した。
      この想いのまま戦う日々の充足感をもう一度味わいたい、味わい続けたいと。
      様々に言い訳を続けてきた私の選択をひとつに絞る、私は戦いを決めた。

      「衛生兵!」
      「何か御用?部隊長」

      答えたのは我が部隊の衛生兵。
      余裕綽々と言った自慢の脚力、基礎体力が元々ある彼女は
      このくらいの訓練はこの子が一人で走るならなんの苦でもないらしい。

      相変わらず鼻であしらうような口調。
      私はおかしな強い確信を抱きながら、きっと彼女ならわかってくれると想いを言葉に込めた。



      「彼女の脇を走って。カレッタが持っている装備をあなたのベルトに繋ぐのよ。
       それで彼女の持っている装備の重量をあなたが負担して支える。
       いい?教官たちの目を盗んでやりなさい」

      「聞いてびっくりしたわ」

      「私が脚力のない兵士をかばうこと?それともあなたを呼んだこと?」
      「いいえ、二人で同じ装備をベルトで繋いだら
       武器を持って戦えないじゃないかって矛盾点を述べなかったことよ」

      「命令矛盾はいつでもあることよ。それに今は戦闘訓練、ただのかけっこの訓練よ。
       こんなかけっこの訓練に、切り抜けられないでどうするっていうの」
      「さすが、優等生は言うことが違うわね」

      「私は脚がもたついているこの子を支えているフリをしながら走るわ。
       あなたはこの子に歩調を合わせて、
       早く走っているようにみせかけて走りなさい」

      「三人で走るのね」
      「いやなら断って」
      「・・・・・・いいえ、ずっと聞きたかった言葉だから」



      あの子はあとに言った。
      走り出しながらつぶやいていた、ごめんねのことを。

      今まで言った言葉は、わたしをこれ以上責めないでのごめんだったことを。
      あの時は本当にこころの底から、二人にごめんが言えた事も。

      一番遅くにたどり着いた目的地。
      私達は作戦を達成できた喜びに思わず笑みをもらしてあの子に微笑みかけた。
      あの子と彼女の密かに繋がれていたベルトをはすぐに外してしまったけれど。

      私達が密かに交わした密約はなにか見えないもので輝きながら繋がれているような気がした。
      次の朝。そう、全て、何かが昨日と違って見えた。