scene #1

〜〜

      命の恩人・・・といえば正しいのだけれど。

      「そこの人!右に急ブレーキ!」

      右に、どうして?
      言葉の意味よりさきに目の前に壁、鼻先にコンクリートの角がかすめる。
      はたして、今左右どちらに傾いているのさえわからない。
      ただ、風の音が聞こえるほうに目を向けると、窓からひかりが差していた。
      そのまま日の出の方角からわたしの体を抱きしめる誰か。
      風に流れて、私たちは自転車と一緒に倒れこんだ。
      意識が飛ぶ、ひかりの世界、私は思わず最後を意識してこうつぶやいた。

      「女の子だったの・・・・男子かと思った」
      「ちょっと、頭から血が出てるっ・・・って。わたしが男子?」

      初めての出会いは、彼女から私を見れば助けたのにとんでもない失礼な人。
      私から彼女を思えば、助けられたのさえわからない知らない人。
      ただ、唯一の共通点をあげるなら、お互いまったく物怖じせず、言い合える人だった。
      最悪の出会いからそんな大切なことに気づくのは、しばらく経ってからである。


      練習生と初めて教官との顔合わせ。
      そう、今日はこれから目をつけられないように注意する大事な日である。
      私は一応、周りから言わせれば軍人の父を持つサラブレッドなのだそうだが。
      だからとはいえ、今日はおとなしくしているのが賢明だろう。

      しかし、だがしかし。
      私は気もそぞろに、目の前の髪の毛の視界を奪われてこれから学び舎で過ごす面々、
      教官たちの顔を把握することすらできず、やはり気もそぞろな衝動を抑えていた。

      なんなのだ、目の前いっぱいに広がるこの髪の毛は。
      きれいに整列した訓練生達、私の目の前にはふわふわと背中いっぱいに広がる
      この金色の髪が背筋を伸ばして、上官の方へ向いて注意事項を聞いているようだった。

      私より背が高く、大きく覆いかぶさるこの背中は、
      いくら私が兵士志願の合格身長ラインちょうどだったとしても、
      とても大きな背中だった。よく見ると、制服からして同じ女子ではないか。
      いつのまにか、暗闇に映し出されていた訓練生活の案内が終了し、
      教官たちがカーテンを一斉に開けた。映強い日差しが講堂をつつみ、誰か気を利かせてか。
      何百人の吐息が充満していた講堂の空気を入れ換えるために窓をひとつ開けてくれた。
      風が勢いよくながれていく。
      入学式というこの日、勇ましい宣誓がまだ見知らぬ練習生によって語られる。

      彼女の髪がふわり、ふわりと花の綿毛のようにきらりとなびき私の鼻先をかすめていく。
      いや、言い訳はよそう。
      それにこれは誰に聞かれているわけでもない、自分を偽ったところで何の得すらない。
      誰に迷惑をかけるわけでもないのだから、正直にこのこころを受け入れよう。

      ああ、なんて綺麗な髪の毛だろう。
      あの髪の毛はきっと手を離したくないほどに柔らかに違いない。
      移動を告げる号令。はっと我に帰る私。
      自分が今抱いた可笑しな感情など忘れて、行進に従って講堂を後にした。



      「久しぶり。あなた、無事だった?」
      「はじめましての間違いよ」
      「へえ。ぶつかったときはきょとんとして、かわいらしく目をまん丸にしてこっちを見たのに」
      「まさか。そうなの?」

      「頭の傷、見せて」
      「跡は消えるそうよ」
      「髪をかきわけないと、見えない場所でよかった」
      「衛生兵志願だったの。どうりで手当てが慣れていたわけね」
      「あら、腕の認証を盗んで見るなんて。あなたのを見ていないのに不公平だわ」

      「その、一応、あの時は感謝してる」
      「お礼を言うときは、目元を緩めるものだけど」
      「私は元々、こうだから」

      「ねえ、待って」
      「なによ、目の前に高い壁なんて無いわよ」
      「そうね。今日は自転車にも乗っていないわね」
      「用件は?」
      「元気そうでよかった」
      「・・・・・・?それは、私に言わなくてもいいことよ」

      「言いたかったのよ、私は自分に。」
      「可笑しな人ね」
      「はじめて誰かのために私ができたこと、誇りに思いたかったから」



      荷物を整理すると、
      部屋中に被さっている『クリーニング済み』と書かれた布をはぎとる作業にかかった。
      ここを退出した後、業者に頼んでクリーニングを行ったそうだが・・・・
      いくらなんでも、これは数が多すぎる。
      ちなみにこの布はきちんと畳んで返せという。私は途中からイヤになってしまって、
      窓枠にかかっていた大きな『クリーニング済み』の布を引き剥がした。

      満点の星空がこの部屋にたったひとつだけの窓、
      私の胸ひとつくらいの空間にびっしりと光の粒が浮かび上がっていた。

      「あ・・・」

      私は思わず声を上げて、呆然と立ちすくむ。
      そうだ、このそらだ。

      空の上のそら。なんてきれいな星屑、ガスの揺らめき、ちいさなブラックホール・・・・
      このそらを飛ぶために、私はここへ訪れたのだ。
      美しいそらを眺めていると、なにやら花の香りが私を包んだ。
      今まさかと、浮かんだ。
      しかし、私は考えることはしばらくよそにしたくて、そらを眺める。
      今度もしかしてと、ガラスを覗き込んだ。
      星空に焦点を当てていた私の眼光は、映る人影を見て取った。
      いや、私はまだ思いをめぐらせたくない。
      映るその人と共に居住を分かつ難しさより、今はとびきりこの空を独り占めしたいのだ。
      だが、私の期待をよそに彼女は私と星空の隙間に強引に入り込み、
      窓のほうへ向き直ってこう言った。

      「きれい!このそらをわたしたちは飛べるのね!」

      事は一瞬の出来事で、私の眼差しは窓に覆いかぶさった彼女の髪の毛に奪われていた。
      ふわふわした彼女の髪の毛は、星空の日差しを受けてかえってくる。
      圧倒的な星の輝きとは違い、暖かでやわらかで触れ合ってもいないのに人肌が伝わってくる。
      私は思い知ってしまった。
      認めたくは無かったが、彼女は本当に暖かい人なのだろう。
      この雰囲気を私は覚悟して、受け入れた。

      「あなたも綺麗だと思ったの?」
      「どうしてそう思うの?」
      「こういうのは、空気よ。雰囲気で感じ取れるものだから」
      「そういうものなの?」
      「そういうことにして。
       ほら、言い合ってないで星空を眺めましょうよ。明日から忙しくなるんだもの」

      真意を知らない彼女は無邪気に、私の肩に手をかけて。
      共に星空を眺めることを促した。

      このそらは誰の物でもないはずなのに、
      彼女は誇らしげに窓のひとつひとつの星を指差し、説明し始めた。
      当の私はうれしそうな彼女の顔を窓越しでみつめながらため息をひっそりとついた。

      彼女の銀河討論はまだまだ、続きそうだった。



      「この部屋は、とくに境界線は作らないから」
      「お互いのプライベートは大切だわ」
      「あら、わたしたちはもうプライベートの線を越えてしまったじゃない」
      「誤解されるような発言は禁止」
      「了解っ、部隊長!」

      「部隊編成はまだでしょう」
      「すぐに決まるわよ。でもね、わたしの感だとあなたの部隊に入ると思うのよ」
      「なによそれ」
      「わたしの感を疑う気?」

      「話がはずれたわ。プライベートは大切、以上」
      「いいじゃない、そんなこと」
      「繰り返しね」
      「プライベートが欲しいときには言えばいいのよ。そばに近寄らないでって。そうじゃないと、
       寂しくなったときに誰かが側に寄り付かなくなるわよ」

      「この学校には訓練をしにきているの。必要以上の馴れ合いは特に必要ないのだと思うけど」
      「人はね、行動と一緒にこころも動くものなのよ。こころが動いていない人間なんて、
       たかがしれた能力しか発揮できないわ」

      「・・・・ふふっ、あなたも真面目な顔をするのね」
      「その顔、なんだかうれしそう」

      「そうかしら・・・ううん、そうかもしれない。
       私はあなたのような意見をずっと胸に抱いて、疑問に思っていたことを
       今頃ようやく思い出せて、なんだか気持ちが良いわ」
      「わたしも気分がいい。だって、こんな話に頷いてくれたの、あなたが初めてだもの」

      「二年近く、試験合格のために色々なスクール通いの時、ふと疑問を感じたの。
       想いの力ほど強いものはないんじゃないかって。
       どうしてかしら、今はいつのまに疑問は抱かないでいた」
      「何も疑問を抱かないで、一直線になるときも必要よ。
       だって、そうでなかったらわたしたちはあの場所で出会わなかった」

      「――――あ」
      「今頃気がついたの!」

      「ごめんなさい」
      「いいの、そのことは。気を使わせてしまったみたい、言わないほうがよかったかしら」
      「男の子だと言ってしまって」
      「あーーーーー!そうよ、あなたあの時失礼なこと言ってたわね!」
      「・・・・・言わないほうがよかったかしら・・・・」