scene #12

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      様々な薬品を流し込むバルブの自動調整が効かず、肉眼で仲間が数値を確認し、
      手動で私がバルブを調整した。途中数値が振り切れてしまって、バルブの調整に迷ったが・・・
      徐々に内気圧は安定をしているのか、かいた汗がひんやりとしてくる感覚に伝わってきた。清清しかった。

      私達の星の植物、それはたぶん私達が同じ心地良さを求めているのだろうなと、どこか本能的に察知し、
      その読みは見事に当たったようだった。
      感覚に身を委ねて、少しづつバルブを閉めていくと、ようやく数値を読み取れるくらいに戻っていく。
      原始的だが、とても効率がよかったのか。時間には間に合ったようだ。

      安堵のため息をついたそのとき、背後から大きな声が響いた。
      「しっかりして!顔が真っ赤じゃない!」

      一体、どうしたというのだろう。
      さっきまで、あちこちから吹き出る蒸気が、私達に吹き付けていたのだから、
      どうしても身体が火照ってしまうのはしかたがないことだと、一瞬思った。

      彼女はジュエルのそばに近寄って、わりと蒸気がかからない操作盤の方へ誘導させ、その場に座らせた。
      私は彼女の洞察力を心から信じている。彼女の隊員の体調変化を見る目はもはや神がかっているからだ。
      きっと何かあるのだろう、それがどんな意味をするものなのかわからないが。
      私はこの緊急事態に思考を巡らせた。

      もし、ジュエルが動けなくなってしまったら、私達はどう対処し乗り越えるのか。
      慌てながらも彼女は、ジュエルに氷のように機能する圧縮型冷却ポシェットを首筋に当てた。
      ふうっと、あまりみない彼女の安堵した吐息に少しだけどきっとした。
      ああ、こんな気の抜けたもするのかと。こんなに人間らしいこともできるのかと。

      「部隊長さま、あたしが弱っているのがそんなに珍しい?」

      こころを読み取るかのように、間髪入れず言葉を返される。
      あまりにもその言葉通りで驚いてしまい、嘘がつけなかったというのが本音だが。
      私は肯定も否定もせず、どうかしらと、つい冷静にかわしてしまった。

      そんな緊張感のない私達をよそに、彼女はなにやら目を細めたりなど酷使して、彼女を見つめていた。
      真剣なその顔は、以前にこやかになる気配はなかった。
      どうやらことは、私達のそんな問答など超えて、不測の事態らしい。

      「この人、来たときから体温が熱かったのよ」
      「あなた、そんなことまでわかるの?」
      「こうして片目を瞑ると、温度変化が見えるの」
      「どういうこと」
      「視界の色彩が通常の見え方ではなくて、白と黒と赤だけで、人の温度が視界色に映るの」

      ああ、だからドアノブの温度変化を見て取れたのかと納得した。
      あのまま触れていたら、私の手は火傷で治らない傷を残していただろう。
      だけど、それは真実なのでけれど・・・

      おかしなことに私は、納得しても拒絶されたなにかが、切ない気持ちが消えていく気配を感じなかった。
      もう一度、この作戦が終わったら、彼女はいつものように、
      おやすみと肩に手を乗せて私に触れてくれるだろうか。
      想像だけで感じたことのないなにか恐ろしさのような感覚に支配された私は、
      とりあえず、こころの話題を切り替えるために・・・・・・

      「まるでサーモグラフィーね」
      そう、冗談を呟いた。

      ジュエルはおぼろげながら瞼をうっすらと開き、嫌味の相手である彼女にやりと笑う。
      その顔はいつもの通り、何か達観していて全て見切ってしまうような視線の目。
      よかった、と私は少しだけ安心した。

      「薬品実験にでも参加したの?
      なのにそんなに丈夫だなんて・・・何とかは風邪ひかないっていうものね」
      「冗談が言えるならまだいいわね。そのまま意識を保ってなさい」
      「どんな実験でそうなったの?」

      「人の視界を一時的に色の識別を二色にするものを開発していたときよ。
      お陰で片方の目にまつげが入ると、色が赤と黒にしか識別できなくて、困っちゃう」
      彼女は明るく私に答えてくれているが、そんな身体異常をいくつも持っているのだとしたら、
      それはとても大変なことではないだろうか。

      彼女は私の心配を気にしてか、この目がいかに効率よく使えば役に立てるかを教えてくれた。
      同時に、このお陰でジュエルの変化に気づけたことも。
      彼女はウィンクするように、何度か彼女の顔を覗き込む。
      彼女いわく、温度の変化が赤と黒の色彩で見えるのだという。

      よく、認知されていない人の持つ第六感が、見えないものを
      探るような感覚なのだろうか。

      ふらふらと、まるで食べ終えたばかりの子供のように、
      頭を振り子のように動かしはじめたジュエルに、必死で問いかける。
      問いかけが聞こえているのか、聞こえていないのか。
      わからないほどの小さな声で彼女の問いかけに答えるジュエル。
      そんな中でも、彼女は私達が見えないものを必死で探していた。

      ふっと、彼女は強い意思を込めて息を吐きだすと。
      何かを決意したように、いつのまにか視線は私に移されて、手を取って、こう耳元で呟いた。

           わたしを    きらいに     ならないで。

      なぜだろう。そのことばの真意を、私は知ろうと思わなかった。
      ただ、目の前に汗を流しながら必死で倒れる目の前の人間を救おうとしている彼女に、
      一体なにを嫌いになれというのか。わかりきったことを質問してくれるなと彼女をみつめながら、
      詰め寄って、真直ぐに視線を集めた。

      「あなたの才能を信じている、その才能で決断した答えをも信じてる」

      言葉以上のことを伝えたかったけれど、この気持ちを表現する語釈やジェスチャーは、
      今の私には持ち合わせておらず、こんな言葉でしか伝えられなかったが、
      気持ちはどうやら彼女に届いたようだった。

      彼女は幸せそうにため息をついて、ふわり、微笑みかけた。
      その微笑みは蒸気でゆれるあの柔らかな髪にとても合っていて、
      そんな姿にみとれていると彼女が突然私を抱き締めた。
      あなたは、どこにそんな力を宿していたの?
      思考の端でそんなことをぼんやり考えながら、彼女が力の限り私を抱き締めてくる。

      彼女が勢いよく、息を噴出して、自分の腹に力を込めた。
      私を抱き締めながら、ジュエルの腹の上に手を載せて、何かに集中し始めた。

      体が、熱くなっていく。
      いや、これは彼女に触れらて感じるものくすぐったい感覚ではなく、
      内面から燃え上ってくる、逃げれられない熱さだ。

      体験したことのない感覚が、体中を這い、まるで熱い熱湯が血管中を駆け巡るように、
      私の身体の様々な場所が熱を帯びていく。
      もしや、人の熱をどこかの部位に移動させる能力だけではなく、
      他人にその熱を放出移動させることのできる能力持っているのではないだろうか。

      次第に視界は流れる額からの汗でにじみ、徐々に人間が入ってはいけない温度に入っていくのを感じた。
      彼女は静かにジュエルに触れていた手を離すと、ジュエルはゆっくりと、そして確実に。
      先ほどとは違うしっかりとした目つきであたりを確認し始めた。
      赤くなっていた顔も、ほんのり薄紅を浮かべるくらいの頬になっているようだった。

      私はというと、熱にうなされながら、抱き締めた彼女の横顔をおぼろげにみつめた。
      彼女は私よりも少しだけ背が高いので、上目遣いでぼんやり眺めた。
      よくわからないが、泣きそうな彼女に私はようやく、気がついて。声をかけることができた。

      「熱を移したのね。さすが、うちの衛生兵だわ」
      泣きそうな彼女に何かしてあげたかった。何をしたらいいか迷うばかり。

      ああ、もう限界だ。
      彼女の力いっぱいで抱き締めてくれる感覚をもう少しだけ感じていたかった。
      だが次第に、感覚までもおぼろげになっていく。
      私は、ぼおっとしてくる思考に意識を許していき、心地良く酔う様に眠っていった。




      「起きた?目覚めないかと思ったわ」
      「それじゃあ、今日から私のかわりに部隊長をしておいてちょうだい」
      「了解、部隊長さま」

      「彼女は・・・・どこかしら」
      「名前で呼んであげたら?」
      「プライベートのことで、あなたに関係ないでしょう」
      「いつもムキになる。そんなに大事?」
      「質問に答えなさい、ジュエル」

      「了解。目覚める前に、あなたの好きなジュースを持ってくると口実をつけてあなたに会いに来ないでいるけど」
      「あなたの個人的分析は聞いていないのだけど」
      「真実でしょ。きちんと受け止めたらどう?」
      「いちいち、あなたって人は・・・・・でも・・・・」
      「なによ」
      「もしそうだとしたら。なぜ私に会わないでいるか、あなたの見解を聞かせて」

      「そうねぇ・・・自分が普通の人と違うことについて、引いてしまったんじゃないか。という見解回答」
      「それには異論があるわ。私は全てではないけれど、
      彼女が少し得意な方向に身体能力が長けていることを知っている」

      「あたしは解決できたけれど、かわりにあまった熱を放出されたあなたは倒れてしまったじゃない」
      「きっと彼女はあなたの熱を受け止め切れなかった。だから私に分けたに違いないわ」

      「へえ、ほんとにあいつのことわかってあげてるんだ」
      「命の危険はあなたの方が高かった、その選択で正しいはずよ」
      「そうね・・・・・普通の人間でないことに自慢気だったけど、今更それを曝け出すのを怖がったとか?」

      「それでも、明日の私の態度を恐れるくらいなら。
      今の私がいいと言っているのだから、この時を安心して過ごしてほしいの」

      「・・・・・・・・」
      「あ、ごめんなさい。まるで本当に彼女に話しているみたいだかったから、つい」
      「不思議なひとね・・・・・一応、あいつに声かけてきてあげる。無茶でも連れてきてあげるから」
      「心強い部下を持って幸せだわ。どうもありがとう」
      「あなたは強い」

      「そうでもない。実際、私は気を失って倒れてしまった」
      「―――そうじゃないわ」


      トントンと、遠慮がちにノックされたその音に、どこか懐かしい気配を感じた。
      小さな瓶を持ってコップを落とさないように、肩をすぼめて入ってくる彼女に、なぜかたまらなく愛執が募る。

      小動物やかわいいぬいぐるみの玩具を思わず抱き締めたくなる衝動というのだろうか。
      まあ、そんなことをこうして思っていても仕方がない。

      既にそばにいジュエルが、両手が塞がって開けにくそうにしていた彼女の隣に入って、ドアを開けてあげた。
      その隙間から出て行こうとするジュエルに対し、素直にありがとうと。
      それは本当にしおらしく頭をかかげて、彼女は奥へと進んだ。

      「私、倒れたみたい」
      「そうみたいね」

      ゆっくりと二人だけの時間が流れていく。
      飲み物を告ぎながら、適当に答える彼女。私はそんなしぐさにどこか違和感を感じつつも、
      何か言い知れない確信に触れないように、私は彼女の告がれるコップの流れる様をみつめていた。

      不思議な音が響く、かちかち・・・かちかち・・・・小さな瓶とガラスのコップが重なる音。この音に記憶がある。
      そうだ、あの時の音。ガラスとガラスが重なって、はじめてここで熱を出してしまったあの時のことを思い出して、
      こころの中でくすりと笑った。注ぎ終えたのだろうか、私は彼女の入れてくれた飲み物に手をかけた。
      私はそのとき、久しぶりに彼女の指に触れることができた。

      だけど・・・触れた瞬間、はっと血の気を引くのを感じた。

      少しだけ触れたその指先が震えている、なぜ震えているのか。私は探ろうとして、
      今日彼女がどんな顔をしてここへ入ってきた思い出そうとした、でも、思い出せないのはなぜだろう。
      私はさらに記憶に分析をかける。

      ああ、私はなんて愚かだろと自分に幻滅して、注がれたものを飲み干す。
      きっとジュエルの言うとおりなのだ。
      あの能力を私が特別意識していると、互いに築いた穏やかな日々を
      今まで通りで接することがもうできないのではと彼女は思い込んでいる。

      彼女の恐れが、いま。ようやく私の身体に伝わってきた。

      そういえば私は彼女が入ってきてから、一度も目を見ていなかった。
      彼女はずっとここに入ってきたときから、顔を俯かせて、私に何かを悟られないように、
      なにかに怯えながら手を震わせて、私の側でこうしている。

      ねえ、見つめたら、あなたの恐れを知られてしまうから?それが怖いの?
      でもだめよ、そんなことをしても。
      あなたとどこかでつながってしまったんだから。
      その気持ちを私がわからないはずないわ。

      改めて冷静になる。先ほどまで、たまに見た可愛らしい彼女に喜んでいた自分が恥かしい。
      それでも、いまさら、なんとなく私の視線を避ける彼女に、私は向き合う勇気がなくて。
      出会った頃のように、窓に映る彼女の様子を盗み見た。

      「ここからの眺めは初めてだわ」

      急の問いかけに、彼女は顔を上げると、ふわりと髪を靡かせて。
      星空の移る窓ガラスに映しだされる彼女の姿が見えた。少しづつ穏やかな顔になってなっていく。
      そのとき、きらりと彼女の肩にかかる髪が、そらの星空と共に光った。
      そうして、この空を通して、彼女のきらめく髪が綺麗なだと思えるこの世界の平和を改めて感じた。
      そんな心地の良い物思いにふけながら、ガラス越しで眺めていると。
      不思議と顔がほころびはじめて、思わず微笑でしまう。

      「綺麗ね」
      窓に映る彼女の視線が、私の見つめていた彼女の瞳と重なった。

      きれいといった彼女の瞳は、明らかに窓のそらを指したものでなく、
      窓越しに映る私の目ことを語っていて。
      この瞬間、私の心臓は鼓動が大きく乱れてしまった。

      ―――ピーっと、繋がれていたなにかの器具から、脈拍の異常を告げる緊急信号が鳴り響いた。

      何を思ったのか、その時とった私の行動は、案外馬鹿げていると思う。
      思い切り、繋がれていた測定器の吸盤を引き抜いて、数々はずしていった。
      ただでさえ、瞳の動きだけで私の深い気持ちに気づいてしまう彼女に、
      瞳を重ねただけでこんなにも乱れてしまう鼓動の数を知られたくない。その思い一身だった。

      私はどのチューブが鼓動を測定するものかも考えないまま、勢いだけで様々外していった。
      その後、私の異常を計測したレコーダーを読み取った医療スタッフが押し寄せて、騒ぎとなったり。
      慌てふためく私を見て大笑いして、しばらく部屋の中でからかわれたり。
      散々な目にあったのは言うまでもない。

      それでも、夜眠る前にふっと思い出す。
      あの時、窓に映る私の目と彼女の目が合ったこと。
      そのときじっとみつめた彼女が、綺麗だと言ってくれたことを。
      私は思い出に浸りながら、その日の夜を隣のベットで眠る彼女の寝息を聞きながら、暖かに眠った。




      訓練も終盤に掛かってきた、後輩達を襲ったテロリズム的な標的組織は資金不足のため身動きが取れなくなり、
      結局、最終的にスカイクルー本部へ途中激玉砕の道を選んだ。
      スカイクルー達も思うところがあったのだろう。作戦はスカイクルー自らが考案を挙手したと聞いている。
      彼らの計画を傍受、それに対し、非暴力的兵器を駆使した作戦を幾度となく練り直し。作戦を決行した。

      見事、彼らの機体の大部分を損傷することなく、
      味方含め標的とも一人の死傷者も出さないまま、成功へと導いた。
      生かして、やつらのこころを締め付ける。
      しばしばそんな、恐ろしいことを現役のスカイクルー達は、訓練生がいる時間帯すら気にせず、
      作戦の内容やその気配を隠すこともなく、各機収納倉庫でささやいていた。
      もちろん、再びあんなことが起こらないようにするためにはそれが適切な判断だったと思う。

      しかし、なぜだろうか。
      圧倒的戦闘勝利でも、彼らのなかのこころに、後輩たちの全滅を聞いて宴を開いた彼女との温度差に、
      私は戸惑ったりするばかりだった。
      思い出を次の幸せまで消化し切れていない、その言葉が正しいだろうか。
      私はどうにもならないことに、何も考えないようにて。訓練生らしく学校生活を過ごしていた。

      こころ苦しいことも続いたが、部隊長と衛生兵の境界線を少し超えて、
      軽いスキンシップに癒されるなどして、少し気がまぎれた。
      いや、事実はそうなのだが・・・この事実は決して彼女には言わずに伏せておこう。またからかわれ、かねない。
      幸せな情景を思い出しながら、椅子に座って銀河系惑星図鑑を読み、
      窓から差し込む星のひかりを楽しんでいた。

      「きれいね」
      そっと、彼女が私が本に添えている手に触れてきた。窓のそらを見ながら。

      以前はそのまま振り払っていたが、課題中以外はそのままにしている。
      それはなぜか。それは先ほどの繰り返し。
      やはり私は、あの子のように素直にはなれないようだ。
      この手に癒されてしまっている自分をこころから喜べず、困惑してこころに問答を繰り返してばかりいた。

      「最近、わたしの髪をみつめないのね」

      寂しそうに聞こえたのは気のせいか、ひどく小さな声でつぶやいた彼女。
      私は視線を彼女に向き変えて、少しだけ笑って見せた。

      彼女は急に見つめられてか、少し驚いて。
      別にみつめて欲しいわけではないけどと、珍しく羞恥を隠して目を逸らした。
      頬が紅く染まるのを見ていると、美しいあのやわらかな髪以外の魅力も、悪くないなと思えてしまう。

      彼女の髪は相も変わらず星のひかりに照らされて美しいが、
      淡い赤の頬に星の輝きが反射されるのも悪くない。
      しかし、彼女の言う通り、前よりは彼女を盗み見ることはなくなった気がする。
      さて、それはなぜだろう。そしていつ頃からそうなったのだろうか。

      「ねえ、わたしの髪には飽きてしまったの?」

      今度こそ寂しそうに聞こえた。
      普段の私なら思わず茶化す彼女を嗜めるだろうか、なぜだか今宵はどうもこころ内が穏やかで。
      私は彼女の手を握り返し、添えていた手を握り締め、
      見つめながら少しだけ微笑んで。言葉にならないことばを伝えた。

      あなたの魅力は髪だけじゃないわ、と。

      めずらしく、私からの行動に耐え切れなくなったのか。彼女は手を離してしまった。
      ふむ、どうやら彼女はスキンシップすることに羞恥を感じないようだが、私からは苦手らしい。

      もう寝なければと、話題を切り替えることに必死の彼女を見ながら。
      私は離された手に違和感と寂しさを感じ、寝床に着こうとする彼女を見守った。
      そうか、知らなかった。手を離されるというのはこんなに寂しいものなのかと。

      強い衝撃ではないが、何気ない痛みがこころに残す。
      そういえば、彼女は私に何度も振り払われても、近づいてきた気がする。

      やはり彼女は強く、そして人間らしい暖かな人だ。
      これくらいの衝撃を受けてもすぐに回復して、びくともしないのだろう。
      しかし、この衝撃を与えてたことの事実に、再びこころを痛めた私は、本を静かに窓枠に置き。
      音を立てないように彼女に近づいて、少しだけ強引に彼女の腕を抱きしめた。


      「そういう時は、腕じゃなくて寂しい背中を抱きしめるものよ」
      「あなたの髪が嫌いになったわけじゃないわ」
      「知ってる。興味が薄れただけでしょ」

      「興味はあるわ」
      「あら、それじゃあ瞳の色でも興味を持ったの?だから、倒れたとき、あんなに私をみつめたのね」
      「・・・・・さあ、どうだったかしら。そういえば、あなたの瞳の色は見たことがない色ね」
      「この色はね、本当は黒だったのだけど、アルバイト中にこの色になったのよ」
      「きれいな色ね」
      「ありがとう」

      「まだ興味はあるから」
      「生真面目な人・・・・・子供っぽく拗ねてみただけよ」
      「もちろん。こんなことで、あなたが傷つくことはないのは、わかってる」

      「なら、どうしてそんなに必死なの」
      「私は今でも、あの時からあなたが特別だわ」
      「そう・・・・・・」
      「少なくとも、私は生きていて欲しいと思ってる」
      「別に、玉砕するやつらのような連中と同じことはしないけど」
      「でも胸の内は似たようなことになってしまったら・・・」

      「あなたは何が言いたいわけ?」
      「私、あなたのように積極的に自分のこころを表現できないから」
      「十分、今日は積極的だけど」
      「どう言ったら良いか・・・」
      「あなたでも迷うのね」
      「もう、それはこっちのセリフよ。あんなことで、そんなにひがむなんて」

      「・・・・・・・・ふふっ」
      「もう、いいわ」
      「悪かったってば。ほら、機嫌直して」
      「くっつかないで」
      「こうして寂しい背中を抱きしめるものなのよ、わかった?」
      「あなたの仕返って・・・考えると恐ろしいわね」
      「すねたお返しって意味かしら。そうね、もうこんな気持ちにさせないで」
      「でも、本当なのよ。私、そういうあなたにどうしたらいいか、わからなくなっ・・・て・・・・」


      「―――何も言わないで」

      「キスした後、じっとみつめないで・・・・・」

      「嫌よ。わたしはあなたのそんな表情に興味があるんだもの」